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大阪地方裁判所 昭和46年(ワ)4196号 判決 1973年3月31日

原告 扶桑株式会社

右訴訟代理人弁護士 葛城健二

被告 石井謙至

右訴訟代理人弁護士 長谷川豊次

他二名

主文

被告は、原告に対し、金五、九五七、一一〇円およびこれに対する昭和四六年八月二〇日から完済まで年一割五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、被告の負担とする。

この判決は、原告において金一、五〇〇、〇〇〇円の担保を供するときは、これを仮に執行することができる。

事実

第一、当事者双方の申立<省略>

第二、当事者双方の主張

一、原告<省略>

二、被告

(抗弁)

1.右各貸付の際、原告と被告は、被告が原告に右各貸金について先払いの利息を支払えば右各貸金の弁済期を無期限に延期する旨約定した。そこで、被告は、右貸付を受けたのち、原告に対し右各貸金の先払いの約定利息を支払って来たが、最後に昭和四六年八月一一日または一三日にその日から一カ月先の日までの間の右約定利息を支払って、右各貸金の弁済期をその日から一カ月先の日に延期することにつき原告の承諾を得た。

2.(一)被告が原告から右各貸付を受けた頃、被告は、原告に対し、右各貸金全部について被告所有の本件株式に質権を設定して、その株券を原告に交付したが、その後昭和四六年八月一九日の午前中に原告は右株式を他に売却処分した。ところで、右売却処分は、次の(二)ないし(四)の理由により原告の被告に対する不法行為にあたる。すなわち、

(二)、右1記載のとおり、右売却処分当時、右各貸金の弁済期は、いずれも到来していなかったので、原告は本件殊式について右担保権を実行できなかった。しかるに、原告の代表取締役の増井重綱は、原告を代表して、右の事実を知りながら、故意により右売却処分をなした。

(三)、仮に右主張が認められないとしても、(イ)右質権設定の際、原、被告間においては、民法所定の質権の実行方法より他の方法である、いわゆる流質契約を締結しておらず、(ロ)、しかも、原告は被告の承諾のない限り本件株式を売却処分しない旨約しておった。(ハ)、その上、被告はいわゆる大阪市北浜界隈で株式の売買を継続的に行って株式の売りと買いの差額による利益を得ているものであり、一方、原告は被告らのように大量かつ継続的な証券取引を行う者に株式等の有価証券を担保にして株式売買の資金を融資しているものであるところ、本件貸付は、右のような資金の融資である。ところで右のような貸付においては、融資を受ける者の十分な財産を前提にして高度の信頼関係が維持されている。

本件貸付においても、原告は、本件貸金の仲介の労をとった訴外酒井淳吉を介して、被告が十分な資産を有することを知悉していたのである。それ故、融資者が担保に供されている株式を担保提供者の同意なくして処分することは担保提供者の信用が絶対的に失墜した場合である。

なぜならば、融資を受けている者は自己の株価に対する予想、すなわち勘に基づいて利益を得るとの判断の下に利息を支払ってまで株式を購入しているからである。そこで、右のような場合でなくては、融資者において右担保を借主の承諾なくして勝手に処分してはならないことは、右貸付にかける慣習である。しかるに、原告が本件株式を売却処分した当時においては右のような場合に該当していなかった。(ニ)さらに、被告は、昭和四六年八月一三日に亡母の初盆のため郷里の徳島県に帰っていたが、その二日前の日にみずから、また右一三日の日に被告の妻を介し、それぞれ、原告に対し、本件株式の担保価値が低落しても被告が帰来して増担保を提供するので、被告の承諾なくして本件株式を売却処分しないよう申し入れ、これについて原告の承諾を得た。(ホ)、以上によると、原告は、被告の承諾なくして本件株式の売却処分ができないものであるにもかかわらず、原告の代表取締役の増井重綱は、原告を代表して、右の事実を知りながら、故意により右売却処分をなした。

(四)、仮に以上の主張が認められないとしても、原告が右売却処分をした当時は、いわゆるニクソン声明によるドルシヨックで株価が暴落していた時であるから、このような場合においては、原告としては、被告に対し電報とか速達による一方的通知でなく、被告と話し合い、またはその他の方法により処分することにつき被告の承諾を得る義務があり、さらに、株価の暴落等の株式市場の荒れに対しては冷静にその成行を確かめ、仮に被告と話し合う時間的余裕が得られなかったとしても、被告に対し、増担保を提供するための時間的余裕を与えて、その担保の提供を催告し、その催告期限が経過した時以後に担保株式を売却処分すべき義務があった。しかるに、原告の代表取締役の増井重綱は、過失により、右義務を果さず、あわてふためいて、被告に損失の出ることを予見しながら、被告の不在時に被告方に右増担保提供催告の速達郵便を送達すると同時に、株価の最低値に達した時機において、原告を代表して本件株式の右売却処分におよんだ。

3.被告は、原告の右不法行為により本件株式を喪失し、その昭和四七年一月一二日当時の時価合計金三〇、三八九、〇〇〇円(その明細は別紙六の(一)ないし(七)に記載のとおり)相当額の損害をこうむった。

4.そこで、被告は、原告に対し、昭和四七年三月三日の本件口頭弁論期日において、右損害賠償債権金三〇、三八九、〇〇〇円をもって、本訴請求の貸金債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。そうすると、右相殺により右貸金債権は全部消滅した。

三、原告

(再抗弁)

1.仮に、抗弁1記載のとおり、別紙一ないし五記載の各貸金について弁済期が延期されたとしても、原告と被告は右各貸付の際、(抗弁に対する認否)7の(二)記載の約定をなしていたところ、昭和四六年八月一四日から始まったいわゆるニクソン声明によるドルシヨックで本件株式の価格が右貸金全部の八割を下ったので、同年同月一六日に原告は、被告に対し、右約定に基づいて、口頭または電話をもって、同年同月一七、一八日の間に増担保を差入れるよう請求した。しかし、被告は右請求に応じなかったので、右約定に基づいて、被告は当然右各貸金全部の期限の利益を失った。

2.そこで、同年同月一九日、原告の代表取締役の増井重綱は、原告を代表して、前記約定に基づいて、適法に本件株式を売却処分した。<以下省略>。

理由

一、<省略>

二、そこで、被告の抗弁について、原告の再抗弁に対する判断をもまじえ、検討する。

1.抗弁1および再抗弁1について

被告本人は、原、被告間で、抗弁1記載の弁済期延長の約定があって、被告が原告に対し昭和四六年八月一一日に同日から一カ月先の日までの間の利息を支払って、本件各貸金の弁済期を同日より一カ月先の日に延期してもらった旨供述し、証人石井孝子も右供述に符合する趣旨の供述をしているが、証人酒井淳吉の証言、および原告代表者増井重綱尋問の結果に照し、右各供述部分はいずれもにわかに措信できない。しかし、右証人酒井の証言、右原告代表者尋問の結果、および弁論の全趣旨を総合すると、被告は、原告に対し、別紙一の(一)の貸金について同(二)の(ロ)ないし(ニ)記載の各日時にそこに記載の各金額と各期間(ただし、同(二)の(ニ)の期間は、自昭和四六年七月二七日至同年八月二六日)の利息を、同二の(一)の貸金について同(二)の(ロ)ないし(ニ)記載の各日時にそこに記載の各金額と各期間(ただし、同(二)の(ニ)の期間は、自昭和四六年八月一三日至同年九月一二日)の利息を、同三の(一)の貸金について(二)の(イ)ないし(ニ)記載の各日時にそこに記載の各金額と各期間(ただし、同(二)の(ニ)の期間は、自昭和四六年八月一日至同年同月三一日)の利息(ただし、同(二)の(ロ)は元金)を、同四の(一)の貸金について同(二)の(イ)ないし(ハ)記載の各日時にそこに記載の各金額と期間(ただし、同(二)の(ハ)の期間は自昭和四六年八月五日至同年九月四日)の利息を、同五の(一)の貸金について同(二)の(イ)、(ロ)の各日時にそこに記載の各金額と期間(ただし、同(二)の(ロ)の期間は、自昭和四六年七月二三日至同年八月二二日)の利息を、それぞれ支払って、被告は、右利息金を支払う毎に、原告から右各貸金の弁済期を右利息の期間の終期の日まで延長することの承諾を得たことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はなく、右認定事実によると、結局、右各貸金の最終弁済期は、一旦、これに関する右最終の利息支払日において、右利息の期間の終期の日(すなわち、別紙一の(一)の貸金については昭和四六年八月二六日、同二の(一)の貸金については同年九月一二日、同三の(一)の貸金については同年八月三一日、同四の(一)の貸金については同年九月四日、同五の(一)の貸金については同年八月二二日)になったものといわなければならない。ところが、成立に争いがない甲第一六号証(ただし、上部の記載部分のみ)、証人酒井淳吉の証言、原告代表者増井重綱尋問の結果によると、再抗弁1の事実が認められ、右認定に反する証人石井孝子の証言、および被告本人尋問の結果は、右証拠と対比していずれも措信できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。右の事実によると、右各貸金の弁済期は、一旦右のとおりとなったけれど、その後、被告は、昭和四六年八月一九日に、右各貸金全部について右弁済の期限の利益を失ったので、右各貸金の弁済期は右同日に変更になったものといわなければならない。

2.抗弁2ないし4について

(一)被告が、原告から本件各貸付を受けた頃、原告に対し被告所有の本件株式の株券を交付したが、その後昭和四六年八月一九日に原告の代表取締役の増井重綱が原告を代表して本件株式を売却処分したことは当事者間に争いがない。

(二)ところで、右売却処分当時右各貸金の弁済期が到来していたことは右1に認定したとおりであるから、被告の抗弁2の(二)の右当時右弁済期が未到来であった旨の主張は採用しない。

(三)次に、被告は、被告が原告に対し本件株式に右各貸金の担保のために質権を設定したものであるところ、右質権についてはいわゆる流質契約をしていないため、原告は右売却処分権限がない旨主張するので、検討する。<証拠>によると、本件各株式は被告が原告に右各貸金の担保として提供したものであるが、本件各株式については株主名簿を原告名義に変更せず、右提供後もその配当は被告が受取っていたこと、原告は、被告が貸金完済後は被告から受領した本件株式の株券の原物そのまゝのものを返還する約定になっていたこと、原告と被告は、右担保の性質は、株式信用取引の証拠金の代用証券提供行為と同じ性質のものと考えていたことが認められることを総合すると、被告は原告に対し右各貸金の担保のため本件株式に質権(いわゆる略式質)を設定したものと認定するを相当とする。右認定を覆すに足る証拠はない。しかし、<証拠>によると、原告は、証券取引を行う者に株式等の有価証券を担保に株式売買の資金の融資等をなすことを営業とする株式会社で、被告に対する本件各貸付は右営業としてなされたこと、本件株式の右質権設定に際しては、原告と被告は、原告の(抗弁に対する認否)7の(一)ないし(四)記載の約定をなしたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はなく、右認定事実によると、原告と被告は、右質権設定契約締結の際、原告が本件株式について民法所定の質権の実行方法より他の方法(原告が任意に売却処分する方法)による質権の実行をなすことができる旨約しておるところ、右各貸金は商行為によって生じた債権であるから、右約定は商法五一五条により有効であるといわなければならない。そうすると、被告の抗弁2の(三)の(イ)のいわゆる流質契約がないことを前提とする主張は採用しない。

(四)<省略>

(五)また<証拠>によると、抗弁2の(三)の(ハ)記載のとおり被告が株式売買等の取引をしているもので、原告が右取引をなす者に資金の融資等をなすことを営業としているものであり、本件各貸金の借受も、被告が右取引の資金とするためになしたものであることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。しかし、右貸付の際、提供された担保株式について抗弁2の(三)の(ハ)に記載の慣習があることを認めるに足る証拠はなく、<証拠>によると、むしろ、右慣習はないものと認めるを相当とする。そうすると、被告の右慣習の存在を前提とする主張は採用しない。

(六)原告が本件株式を前記売却処分した当時はいわゆるニクソン声明によるドルシヨックで株価が暴落していた時であることは当事者間に争いがない。

しかし、被告が抗弁2の(四)において主張のとおり、このような場合に原告が本件株式を売却処分するについて被告の承諾を得る義務があることを認めるに足る証拠はなく、被告は原告に対し本件各貸金の担保のために本件株式に質権を設定したものであるところ、その際、原被告間で原告が右質権の実行として本件株式を任意に売却処分できる旨約していたことは前記二の2の(三)に認定のとおりであるから、却って、原告には右義務がないものといわなければならない。しかしながら、右のいわゆる流質契約は、その限度において被告の原告に対する信託行為であると解するを相当とするから、信託法第二〇条に基づき、原告は被告に対し、善良な管理者の注意をもって右質権の実行(任意売却処分)をなす義務があるものといわなければならない。被告の抗弁2の(四)の主張は、原告の代表取締役増井重綱の原告を代表してなした本件株式の前記売却処分行為が原告の右義務の不履行による不法行為にあたるとの主張をも含むものと解される。そこで、原告に右義務の不履行があったか否かについて考えみる。前記二の1に認定のとおり、原告が本件株式を前記売却処分する前に再抗弁1の事実があったことその上、<証拠>を総合すると、昭和四六年八月一四日からいわゆるニクソン声明のドルシヨクによる株価の暴落が始まって、本件株式の価格が本件各貸金額全部の八割を下ったので、再抗弁1記載のとおり、約定に基づいて、原告が被告に増担保の差入れを要求し、その期限を同年同月一八日まで猶予したこと、しかし、同日になっても被告から何の連絡もなかったので、同日、原告の代表者増井重綱が被告に右担保の差入を要求するため被告方に電話したが、被告は不在で、応待に出た者は、被告が不在である旨答え、その行先や帰る日時を答えなかったこと、そこで、原告は、同日、原告が被告に対し右増担保の差入の要求とこの要求に被告が応じないときは本件株式を売却処分する旨記載した速達郵便や、電報を送付したが、これについて被告から何の応答もなかったこと、そして、翌一九日午前に、右増井が被告方に右用件を伝えるため三回ぐらい電話したが、同じく被告は不在であったこと、そこで、右増井は、かねて被告と株式売買の取引に関して親交が厚く本件貸付についても仲介の労をとった訴外酒井淳吉に電話で、右の経緯を伝え、被告の行先を問い合せ被告から連絡があれば知らしてくれるよう懇願したが、右酒井も、被告からその行先を聞いておらなかったため即刻被告方に電話したが、被告は不在で右連絡がとれなかったこと、そこで、原告代表取締役の増井重綱は、原告を代表して、訴外小畑証券株式会社を通じて、同日本件株式を別紙六の(一)ないし(七)の「原告の売却処分代金額」欄記載の価格(別紙六の(一)ないし(三)および(五)ないし(七)の株式は同日午後一二時五八分にその時刻における取引価格、同六の(四)の株式は同日の最終取引時刻にその際における取引価格)で売却処分したこと、担保株券の処分を最終取引時刻において行うことは証券業者一般の慣例であるので、原告は、右の時刻による処分を右証券会社に依頼したが、右証券会社が本件株式のうち一部を右のとおり早く売却処分したこと、しかし、当時の株価の暴落は全く異常な事態であって、証券界においては、日時を経過するにつれてますます株価が、暴落して、全く只同然の安値の極に達するものと危惧されておって、その推移を見守れば、株価が上昇するかもしれないと考える者はほとんどいなかったことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。右認定事実によると、原告の本件株式の右売却処分が善良な管理者の注意義務を果していないものであると認定することは困難である。そうすると、被告の抗弁2の(四)の事実を前提とする主張は採用しない。

(七)してみれば、被告の抗弁2ないし4の相殺の主張は、その余の点につき検討するまでもなく失当であるから、採用しない。<以下省略>。

(裁判官 山崎末記)

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